始祖の日乗

空家を探訪したりミステリを読んだり

ジャックポット 筒井康隆

ただ風が吹き抜けていくだけ

 

ジャックポット

ジャックポット

 

 そうか。

 こういう作品集だったのか。情弱のそしりは免れまい。筒井伸介氏が昨年2月にお亡くなりになったことをおれは全く知らずにいた。本書に採録されている短編のほぼ半分はそれ以降に雑誌掲載されたものだ。

 冷たいとか重いとか暗いとか哀しいとか。そうした感情とは全く違うもの。ただ風が吹き抜けていくような。そして、この世に生きているということは、つまりはこの風になぶられている、それだけのことなんだと。

『川のほとり』はその風そのものを淡々と書いた小品。こうした出会いはおれも父とか友とかと何度もしている。しかし、そういうのとは違うのだ。そう分かっているからこそ。

 おれの心の中に生じたものは、このままそっとしまっておきたい。だから余計なことなのだが、なにか書いておきたかったので。

 ※表紙装画は筒井伸介氏による。

シュロック・ホームズの迷推理

 洒落た英国のパロディ小説とあの米国のアクション映画

  同じ著者の「シュロック・ホームズの冒険」(ハヤカワ・ポケットミステリ) 

 初読は1969年(amazonのデータは間違い)のことだった。実はパロディというジャンルがあまり好きではない。はっきり言うと嫌いである。他人様がきちんと完成させた原典(パロディになるくらい有名なもの。でなければただのパクリだよね)を利用して、茶化して、なにか賢いことでもやった風に装う。そういうのって虫唾が走るから。
 ところが、この作品は突出していた。短編集だけど、それがどれも感心するほど面白い。実在の超有名人物を登場させていじりまくる「画家の斑紋」「ダブルおばけの秘密」、特殊相対性理論が凄まじい結末を招く「アダム爆弾の怪」。そして、文字通り抱腹絶倒の解決「贋物の君主」。たかがパロディと言った軽い気持ちで読んでいたので、本当に打ちのめされるようなショックを受けた。今まで聞いたこともなかった作家が、この瞬間、おれの中で大きな存在になったのだ。ところが――
 フィッシュの他の作品はなかなか見つからない。amazonなんて便利なものもなかったから、大きな書店に入ったときこまめにチェックしていて、やっと「懐かしい殺人―パーシバル卿と殺人同盟」に出会ったのは実に1972年のことだった。売れないミステリ作家が3人、これまで展開してきたフィクションの世界を現実に敷衍して、殺人代行業を営むという、これまたかっ飛んだお話。後半は法廷劇になり、これまたおかしな進行をするという佳作だった。
 でもね、あのシュロック・ホームズの衝撃に比べると、洒落てはいるけどなんか物足りない印象なんだよねえ。そして、そんなこと自体もう忘れた頃、本書をみつけたのだ。
 冒頭の「アスコット・タイ事件」以外被った収録もないし(しかし、ハヤカワ版と微妙に翻訳が違っていて、なおかつ読みにくい)、シュロック・ホームズ物以外の作品も収録されていて充分に愉しめた。と、本書の評価は自分の中ではここで終わっていたのだが――
 本書も今回の書斎雪崩から無事回収した書籍の一つ。なつかしさもあって、読み返していて、ふと読み落としていた一節に気がついた。といっても本編中の文章ではない、パラパラ読み飛ばした解説文の一節なのだ。
 いや、驚きました。本書に収録されている「クランシーと飛び込み自殺者」。この短編の主人公、クランシー警部補シリーズの長編第一作“Mute Witness”が、あのスティーヴ・マックィーンが主演した「ブリット」の原作だというのだ。
 いやあ、全く存じませんでした。そして、今回雪崩からの救出がなかったら、おれはロバート・L・フィッシュを粋な小品を書いた作家とずっと位置付けていたに違いないのだから。

 

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第三の男

 おとなしいイギリス人

第三の男 (ハヤカワepi文庫)

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 なにを今更というグレアム・グリーンの傑作。

 なんだが、映画は見ていても 原作は未読という方は多いのではないか。書斎(兼書庫)雪崩発掘本として読み直していたら思わぬ発見があってちょっと驚いた。

 映画の印象が非常に強いのと、原作がノベライゼーションかと思うくらい軽いので、ちぐはぐな感じがするのだが一番驚いたのは「イギリス人」の問題だ。

 映画ではジョセフ・コットン演じるアメリカ人作家(西部劇物の大衆作家)ホリー・マーチンソンは食いつめているにも関わらず、図々しく無神経に立ち回る人物として描かれている。他人の名前を平気で間違えるのはその典型。それが繰り返されるから、ホリーのいい加減さが際立ってくる。

 第二次大戦後、連合国(米英仏ソ)の分断統治下にあるウィーンまで、がさつなアメリカ人作家は羽振りがいい友人ハリ―・ライム(オーソン・ウエルズ)を頼って、はるばる来訪してきたのだが。この友人のハリーがまた札付きの悪党で、不良品のペニシリンを密売し、多くの犠牲者を出しながら私腹肥やしている。

 アメリカ人やりたい放題で、ウィーンの人間は腹立たしいだろうと思ったものだが、原作を読んだらちょっと違うのね。映画はホリーの視点で描かれているが、原作はキャラウェイ大佐(映画では何故か少佐)の視点。マーチンソンの名前もホリーならぬロロ(これはジョセフ・コットンが変えさせたらしい)。そしてなにより、ハリーもロロもイギリス人という設定なのだ。

 ジョセフ・コットン、オーソン・ウェルズというアメリカの名優(稀世の名作『市民ケーン』の名コンビ)を起用した以上、無理にイギリス人を演じさせるのは無駄なことと思ったのだろう。しかし、この二人がイギリス人だったら、随分と印象の違う映画になっていたんだろうなあ。

 原作を読んでますます映画の凄さが分かったというお話です。

 

おとなしいアメリカ人  ハヤカワepi文庫

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ジーヴスの事件簿

 

ジーヴズの事件簿 才智縦横の巻 (文春文庫)
 

  名作のほまれ高い古典短編集。

 恥ずかしながら未読。書店でふと手が伸びて購ったのは杉江松恋が『路地裏の迷宮踏査』(東京創元社)で、こんなエピソードを紹介していたからだった。

 アガサ・クリスティハロウィーン・パーティ』(1969年。クリスティ文庫)がP・Gウッドハウスに捧げられたことは有名である。この作品のどこがどうウッドハウスと関係してくるのかは何度読んでも判然としないが、単純に、同時代を生きた大作家への同志意識の表明と解しておけばいいのだろうか。

 杉江さんは「有名である」と書いているけど、恥ずかしながら全く知らなかった。で、本棚から件の『ハロウィーン・パーティ』を引き抜いてきた――ポケミス版だが、たしかに巻頭に

P・Gウッドハウス

彼の本と物語は長い間わたしの生活を明るくしてくれた。

また、親切にもわたしの本を楽しく読んだとおっしゃってくださったことに対する喜びをこめて。

 なるほど、まあ、これを読んだときおれは未だ学生でP・Gウッドハウスが誰なのかも知らなかったし、誰なのか興味を持っても今日のように手軽にネットで検索するなんてことも出来なかったんだけどね。

 

 さて、本作はいかにもイギリス風、主人公バーティとバレット(執事ではない。執事はバトラー)、ジーヴスの物語である。なにがいかにもかって、おれがことさらイギリスの主従関係に明るいわけではないが、一読頭に浮かんだのは、ジャック・レモン主演の『女房の殺し方教えます』なのだ。ジャック・レモン演じるスタンレーとその忠実なバレットの関係。あのテリー・トーマスが演じていたから強烈な印象だった。このvaletって従僕と訳せばいいんだろうか。杉江さんは「側用人」が一番ニュアンス的には近いと書かれているが。

 いや、ウィットあふれる本作はそんな訳語とは関係なく充分に楽しめる短編ミステリーの傑作だが、問題はアガサなんであります。バーティを苦しめる天敵とも言うべき恐怖の存在がアガサ叔母さんなんです。あまりに恐ろしくラスボスのように描かれたアガサ叔母さんの存在に対して、クリスティは皮肉って献辞を捧げたのではないかしら。

 とこれが言いたかっただけなのです、はい。

 あ、本書は傑作ですから、未読の方は是非お読みください。お奨めです。

 

 

 

女房の殺し方教えます [DVD]

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